バブルと弾けた景気

後(あと)から思い起こす(おもいおこす)と、あの80年代(ねんだい)後半(こうはん)の好景気(こうけいき)をバブルと称し(しょうし)たのは、とても言い得(いいえ)て妙(たえ)だとつくづく思い(おもい)ます。石鹸(せっけん)の泡(あわ)が数多(あまた)に細かく(こまかく)現れ(あらわれ)ては、ぱちんぱちんと消え(きえ)ていく様(さま)は、まさにあの頃(あのころ)の景気(けいき)そのものと言え(といえ)るでしょうか。世の中(よのなか)はまるで浮かれ(うかれ)ているかのようで、明日(あした)と言う(という)日(にち)も教徒(きょうと)同じように(おなじように)続い(つづい)ていくと思う(とおもう)ように、来年(らいねん)も再来年(さらいねん)もまたその後(そのご)も、同じように(おなじように)続い(つづい)ていくものだと根拠(こんきょ)も無く(なく)信じ(しんじ)ていたような節(ふし)がありました。贅沢(ぜいたく)が、善し悪し(よしあし)は別(わかち)として、美徳(びとく)のように思わ(おもわ)れるようなこともあり、グルメや美食(びしょく)と言う(という)言葉(ことば)が、悪い(わるい)イメージ無し(なし)に巷(ちまた)に使わ(つかわ)れた時(とき)でもあります。メディアや出版(しゅっぱん)に関し(にかんし)ても、とても景気(けいき)がよかったのだと思える(おもえる)のは、とにかくあれもこれもと企画(きかく)が通っ(かよっ)ていきました。バブルと言う(いう)名称(めいしょう)が言い得(いいえ)て妙(たえ)だと思う(とおもう)のは、まるで石鹸(せっけん)の泡(あわ)がその泡(あわ)によって洗う(あらう)ものを綺麗(きれい)にするように、バブル景気(けいき)が弾け(ひけ)たことで、余分(よぶん)だと思わ(とおもわ)れたものがことごとく影(かげ)を潜め(ひそめ)ていったように思わ(おもわ)れます。ただし、あまりに作用(さよう)が強(つよ)すぎて、手(て)や布地(ぬのじ)まで傷める(いためる)ような、強力(きょうりょく)に洗い(あらい)すぎる石鹸(せっけん)のようであったかもしれません。バブル景気(けいき)に私たち(わたしたち)は何(なに)を学ん(まなん)だでしょうか。景気(けいき)がよくなっていると言わ(といわ)れる昨今(さっこん)、手(て)を洗う(あらう)時(とき)の石鹸(せっけん)の泡(あわ)を見る(みる)と、つい心(こころ)を引き締める(ひきしめる)思い(おもい)がします。

景気

後から思い起こすと、あの80年代後半の好景気をバブルと称したのは、とても言い得て妙だとつくづく思います。

景気